スラムダンクの生実況上映みてきたよ

印象的だったのが深津のゲームメイクのうまさ(前半、後半の序盤。宮城に打たせるところとか)への言及。「普通はオフェンスチームが主導権を握るけどディフェンスである山王がコントロールしてる」みたいなこと言ってた。
あと沢北のドライブへの言及で「日本の高校バスケであのレベルはそうそういない」みたいな内容だったこと。スラムダンクはあくまでも高校バスケのお話で当たり前だけどもっと年上の層にはまた別の世界があるんだなあをとても感じた。

その他印象に残ったところ箇条書き
実際に実況で言われていた言葉と言うよりもぼんやりとしたニュアンスで受け取って下さい。

前半のイチノのディフェンスとか、台詞ややりとりがない所も拾って実況入れてくれるのすごく嬉しい。
赤木、三井周りでちょこちょこ「三年生コンビ」って言われているのに胸がいっぱいになる。
花道のダブルドリブルでちょっと半笑い(苦笑い?)気味に「意気込みはあるんですが…」みたいなこと言われてるの可愛くて大好き。
花道、木暮の交代で「木暮はワンポイントのみの器用」みたいに言われているの情緒がおかしくなる。
野辺のユニフォーム引っ張る花道に言及なし(審判も見逃したしたので妥当)すき。
宮城がゾーンプレス抜けるちょっと前くらいで「この程度では笛は鳴りません」みたいなの言ってるところとても好き。駆け引きを感じる。
赤木へのパス以降の流川の動きが「PGのような動き」みたいなこと言われててはわ~ってなった。
テクニカルな部分では三井に対する褒めと深津のゲームメイク、河田のディフェンス辺りへの言及が多かった印象。
強調される「王者山王」大好き。
基本的には掛け合いだけど偶にぼそっと独り言みたいなのが入るのが臨場感ある。
宮城のノールックパス、その後も噛みしめるように何度か言及されてたので味わい深い。

全体的に客観、あくまでも試合だけをみて先の展開は知らないという前提での実況解説だったので気持ち山王よりで湘北は挑戦者みたいなニュアンスの語りだったのすごい良かったです。あと当たり前ながらベンチや応援が映っていても試合進行中は当然試合の話をしているので物語が並行して進んでいく感じがすごい臨場感あった。スクリーンではベンチでもちゃもちゃやってるのが映されてるけど実況では沢北が点入れてたりとか。
実況や解説と被ったところはあまり声は聞こえなかったけど元から決めポイントはスローなりの演出入るのもあって一端実況の進行が止まるのも個人的には良かったな。最後の48秒は実況も何もかもなかったので聞きたい気持ち半分と何もなくて良かったの気持ち半分。

恥ずかしながらバスケのことをよく知らないのでフェイクを入れたのは分かってもそれがどういう意味を持っているのか、何を意図して行われているのかみたいな部分が全然分かっていないまま映画を見ていたので、そのあたりも分かりやすく解説入れられているのすごく良かったなあって思う。
これから副音声で実況解説付きの上映を行うらしいので行ける方は是非行ってほしいなと個人的には思いました。

宮城メモ

宮城リョータの自己否定というか自己肯定感の希薄さみたいなものをわりと久慈のそれがどーしたと同じニュアンスだと思っているのでなんかずっとねちねちしているわけじゃなくて普段は平気だけど何かのきっかけでふっと足を止める類いのもの、という意識がある。
やっぱり自己肯定感が低いと言うよりも薄くて自己否定しがちというよりも自分の中できっぱりした線引きがあるような気がするしそれは多分経年と共に変質していく類いのものでこれからまた変わって行くと思う。あと個人的にずっとねちねちウジウジしているのが苦手なのもあるんだろうな、これは原作の宮城云々は少し横に置いて個人的な好みの話になってしまう。宮城、湿っぽいって感じではないというか湿度が固くてべちょべちょしている感情ではなさそうでやっぱりそういうところ沖縄みたいだなって思うスコールみたいに短期でばーって湿度上げて落ち込むけど後はさっぱりしている。
あと対人関係で抱えている感情が少しドライだなって思う。ドライかな。淡泊というかあっさりしていると言うか。線引きが上手くて浅い付き合いもそれなりにできて、その浅い付き合いの枠に色々入れてそうみたいなところある。根っこから乾いてるのは流川だと思う。宮城のこと心底どうでも良さそう。どうでも良くあってくれ。分かり合わないでほしい。不理解同士でも一緒に生きていける証左がほしい流川に変な望みを仮託するな。はい。

加害のはなし

個人的な趣味趣向で攻めが受けに対して加害をするのが好きではない。多分逆パターンもあるけど多く見るのは攻めの方なので攻めの話をする。逆パターンでも同じだが。

と言うか根本的にどっちか一方が精神的肉体的に負担を背負わされている状況があんまり好きではないんだろうなと思う。不均衡な関係を良いと思えない。そういう不健全さ、いびつさが持ち味のカプもあるけど自分はあまりそういうものに嵌まらない方なので今は割愛しておく。攻めがクズなのがダメだ。優しくしてほしい。受けも依存しないでほしい、共依存にもならないでほしい自立してその上で相手を選んでほしい。

加害性が悪いわけではないしそういう関係性が悪いわけでも(フィクションの中では)ないが、そういうものが内包している悪辣さや醜悪さは忘れないでいたいというかそういうものを無視して可愛いって言うのもなんかちがうよねってはなし。

水戸洋平と陣内燕太と

水戸洋平を見ていると陣内燕太の目指すのはこのラインなのではなかろうかと思わないでもないのだけど、結局燕太は洋平のようになれないしなる必要もないし、そもそも物語の軸足も別の場所にあるし…に落ち着いてしまう。そして多分陣内燕太が水戸洋平だったらさらは成り立たないと思うのであれでよかったんだよなあとなる。

以前フォロワーが燕太の理想は大道寺知世なのではおっしゃっていたけどそれと同じものを感じる。それはそれとして洋平の懐の広さと花道に対する情の深さは本当になんなんだろうな…直視できねえ。

木暮公延が好きだという話

映画を見てからずっと木暮公延のことについて考えてしまう。彼は何なんだろうな……。
身も蓋もないこと言ってしまうと木暮公延は赤木剛憲と出会わなければバスケなんて体力作りの為のエンジョイ勢で終わっただろうに赤木と出会ったばっかりに全国を夢見てるの本当に何なんだろうな…ってなる。
漫画の過去回想とか映画の様子を見ている限りさあ、木暮は本当にバスケの才能というものはなくてあの弱小部の中でも多分ギリギリベンチ入りみたいなところにいるポジションで、フィジカルが優れているわけでもなくて全国を目指すと言った時に「自分の力がチームの力になる」とは多分最初から思っていないんだよな…それで3年間ずっと赤木と一緒に全国を諦めないのなに?中学から数えたら6年間ずっとその夢を馬鹿にすることもなく側に寄り添っているの本当に何?!?!?赤木と木暮ずっと同じものを見ているけどその目線の高さは全然違っていて、木暮はもう誰かを信じるしかないんだよな。それはそれでめちゃくちゃきついじゃん…ついでに言えばずーっと赤木のそばで赤木の悪いところも見続けていてそれでも全国を諦めないし赤木の夢を否定しないんだよな。何?
木暮公延の、2年ブランクある同級生にもどシロートの一年生にもあっというまにその場を奪われて尚腐らずふて腐れず素直に「頑張れ」が言える所めちゃくちゃ好きだけどそんな男だからずっと一緒に夢見ていられたし三井にめちゃくちゃ怒ったんだよな…を感じてしまう。でも競争心がないわけじゃなくて「こんな所で終わるなんて嫌だ」って言える人なんだよな、それでも自分以上の人がいたらさっと譲れてしまうんだよな。
自分の力では叶えられない夢をずっと一緒に夢見ながらいざという時その席を明け渡せる男本当に何。木暮にとっての赤木、チームメイトとかキャプテン以上に眩しい憧れもあったんだろうなあと思うと愛しくなる。
あと書いてて思ったけど三井が折れずに部に残ってたらキャプテン赤木で副キャプテン三井が妥当な気がするので世知辛え…って呻いてしまう。

ザファ見たよ

一ヶ月とちょっと前くらいに見てなんやかんやで映画繰り返して見ているし原作も買った。それはそれとして三井寿に色々釈然のしないのでい゛~!!!!ってなる。

続きを読む

ライノーモルチェトえっちで可愛い

ここ数日ずっと勇者刑に処すを読んでいました。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054935149052
今ウェブ版読み終えて書籍版読み始めた所です。

偶に見かけるライノーが多分好きなタイプの男だなあという顔と表情の作りをしていたのでわーっとなって読んでしまった。好きなタイプの男でした。こう、薄ら笑いが貼り付いたあんまり目が笑ってないうさんくささの残る男、良いね。
ライノーが人間の擬態が下手クソで多分論理と計算で人間を模倣しているだけで情緒とか感情とかそういうものをあまり加味した振る舞いをしていないと思っているし、だから人間ムーブがど下手で結果うさんくささマシマシになっているを大体中身が幼女の可愛い男だと思っているのですが、彼の人間に対する感心や賞賛は本物だし人類の為にというのもまあ本心なんだろうなというところが可愛いなと思うあんなに胡散臭いのに言動に嘘はないんだろうを感じる塩梅。
後魔王現象いたぶる時に楽しそうなので勇者になれて良かったね~って気持ちでいっぱいになる。健やかに生きてほしい。

久しぶりにイベント出たよ

一週間前に二年ぶりのイベントに出て、イベントいいなあ~という気持ちになりました。
ツイッターでも何度か呟いているけれども今回出した本の元ネタ自体は三年前の兄と燕太のネタをずっとこねくり回して出来たものだったので何となくいつも以上に思い入れが深い本になりました。
お話を読むタイミングで読み手の感覚と物語に解離が生じてしまう為、ささやかなこだわりとしてあまりはっきりとした固有名詞を書いたりしないようにしているのがあるのですが、今回のお話については八皿の再演をしてほしい気持ちがあったのでかなり固有名詞をはっきり書いたり街並みも聖地巡礼をした人ならある程度把握が出来るレベルのぼかし方をしています。グーグルマップに滅茶苦茶助けられた。
私は八皿の一稀にちょっと諦めを見て浅草を出て行った久慈が好きだし、兄との会話の中で一稀と久慈とのつながりに気付いた燕太が久慈の為に一稀に怒ってくれるのが好きです。今まで一稀に嫌われたくなくて強くものを言えなかった燕太が、真っ向から一稀と対立するのあまりにも良すぎて燕悠好きなシーントップ3に入るシーンです。陣内燕太、すぐに手が出る(かわいい)
七皿の燕太の動きが久慈の排斥だったことも含めて、八皿のムーブメントがすごく好きなんだよな…燕太…可愛いな。性根がまっとうで健全な家庭で育てられたんだなを感じる。好きだ…。

八皿の再演があったので兄と燕太に町歩きさせるしどこぞの屋上で久慈の話をする。燕太は最初から兄が誰だか分かっているので久慈を見せたのはまあ普通に当てつけである。燕太、そういうところで兄とバチっててほしい。というか兄を嫌っていてほしい。
燕太と兄自身は八皿のあの時しか接点がないし、その後は久慈経由でしか兄に触れられないので燕太の知っている兄はあくまでも久慈のバイアスが掛かったものであるし、久慈のそのバイアスに関して燕太は幾分か懐疑的だと思う。自分に取っての一稀がそうであるように。でも燕太も久慈も互いに互いの大事なものを、何重にも重ねた理想と憧れのフィルターがあることを理解しているしそれを良しとしてくれているんじゃないかなあと思います。燕悠のお互いを尊重できる関係を築けそうな所が好きです。

兄と燕太の話のあれこれはやっぱり同じ相手を介した他人同士という絶妙な遠さのある距離感だから出来ることじゃないかなあと思う。どうなんだろうね。世間話で詰まってしまうほど遠いわけではないけれど直接の知り合い同士と言える程ではないけど、どちらも久慈と親密と行って差し支えのない距離に立っていて、でもお互いが知る久慈は相手が知らない久慈なので一致するわけではない。そういう距離感。
兄は久慈には言えないこと沢山あるけど他人だから燕太には言えるんだよな、みたいなのいっぱいあると思う。行きずりの知らん男に重い話をするな。

2022年の時点でもうスマートボール屋は建物も取り壊されて更地になっていて痕跡は最早ないのだけれど、二人が再会するとしたらスマートボール屋以外にはないと思っていたので燕太と兄の二度目の遭遇はああいう形になりました。
1、2本目の話が18歳くらいのイメージで、3本目の話は21歳なのだけれども、14歳から数えるとやっぱり7年は滅茶苦茶長いな…と思いました。メガネ坊主がメガネの兄ちゃんになれるくらいには。

燕太が兄のことを話してからのくだりは書きたかったものを殆どかけたのだけれども、当初プロットで組んでいた画角では燕太は二人を遠くから見ている形だったけれどもそうすると燕太が物語を語れなくなるので久慈の隣に配置し直したりはしている。でも結果としてそれで良かったかなあと思う。
久慈は一人でも兄と向き合えたと思うけど自分にとって“今自分が望んで選んだ人”が隣にいるのは純粋に心強いと思う。さら後半の久慈の選択がどちらかというと消極的に見えていたから尚更。
私は自立、依存からの脱却が好きなので久慈は兄を選ばないし他人と他人の形で燕太と一緒に浅草にいることを選んでほしい、これは願望の話。燕悠なので多少はね。