宮城メモ

宮城リョータの自己否定というか自己肯定感の希薄さみたいなものをわりと久慈のそれがどーしたと同じニュアンスだと思っているのでなんかずっとねちねちしているわけじゃなくて普段は平気だけど何かのきっかけでふっと足を止める類いのもの、という意識がある。
やっぱり自己肯定感が低いと言うよりも薄くて自己否定しがちというよりも自分の中できっぱりした線引きがあるような気がするしそれは多分経年と共に変質していく類いのものでこれからまた変わって行くと思う。あと個人的にずっとねちねちウジウジしているのが苦手なのもあるんだろうな、これは原作の宮城云々は少し横に置いて個人的な好みの話になってしまう。宮城、湿っぽいって感じではないというか湿度が固くてべちょべちょしている感情ではなさそうでやっぱりそういうところ沖縄みたいだなって思うスコールみたいに短期でばーって湿度上げて落ち込むけど後はさっぱりしている。
あと対人関係で抱えている感情が少しドライだなって思う。ドライかな。淡泊というかあっさりしていると言うか。線引きが上手くて浅い付き合いもそれなりにできて、その浅い付き合いの枠に色々入れてそうみたいなところある。根っこから乾いてるのは流川だと思う。宮城のこと心底どうでも良さそう。どうでも良くあってくれ。分かり合わないでほしい。不理解同士でも一緒に生きていける証左がほしい流川に変な望みを仮託するな。はい。