きみはわたしの親友だった 上 - 1/15

 わたしがロンドン大学の学生として初めてその構内に足を踏み入れた日、彼と出会った。
 入学後の煩雑な事務手続きや、講義をはじめとするこれからの大学生活における様々な注意事項といった説明を、彼は退屈極まりないという顔をして、面倒臭そうに聞いていた。
 確かにそのような事務的な話は面白味に欠けるものであるが、同時にきちんと聞いておかねばならないものでもある。だというのに、うんざりとした様子でその話を聞き流す横顔は忍耐や協調性といったものからは程遠く、怠惰の権化とさえ言えそうなほどあからさまにこの時間の無意味さを訴えていた。
 まだ入学初日だというのに随分とふてぶてしい態度だとわたしは内心眉をひそめ、そんな男の隣の席になってしまった自分の不運を呪った。
 いや、それでも騒いだり反抗的な態度をとられるよりはましなのかもしれないと思いながら、こっそりと隣に座った青年の顔を盗み見る。
 正直なところ、この手の説明は入学前の諸注意として既に一度聞かされており、わたしとしても退屈だったのだ。
 きっと今この講堂にいる学生の殆どは同じように思っているだろうが、わざわざそれを態度に出す人間などわたしの隣にいる青年以外にはいなかった。故にわたしは、悪びれもなくふてぶてしい態度をとる彼に対し僅かな嫌悪と、それをほんの少しだけ上回る好奇心を抱いたのだ。
 大学に籍を置くのだから当然ながら年の頃はわたしと同じくらいだろうが、隣の青年は実際の年齢に比べて幾分か幼く見える顔立ちをしていた。ほっそりとした線で作られた少年期特有の無垢さと、男とも女ともつかない性の透明さを持ち合わせた横顔は人目を引くものである。その中でただ一点、アメジストのような瞳は作り物めいた見た目に反して野心に満ちた輝きを湛え、同時にこの退屈な時間にひどく倦んでいるのが見て取れた。
 はっとする程に美しく、そして鋭い瞳だった。
 あの瞳に真正面から見据えられたら、きっと大抵の人間は竦んでしまうだろう。その目はそんな強さを秘めていた。
 職員による事務手続きに関する説明や、大学の名前に泥を塗らぬようにといった細かな注意が続いた後、長ったらしい説明がやっと終わりを迎え、集まった新入生が解放されるまで、わたしはずっと退屈そうな態度を隠そうともしない隣の青年の無気力で美しい横顔を盗み見ていた。
 この、規律と規範に支配された秩序ある社会の縮図のような場所に倦みながらも、決して光を失うことのない強い瞳から、どうしてかわたしは目を離すことが出来ないでいた。
 それは、長い長い説明が終わりようやく解放されることとなった彼の表情が僅かに緩み、そして長い時間、飽きることもなく彼を横目で見ていたわたしに振り向くまで、ずっと。
 わたしへと振り返った彼の動作はこの上なく自然で滑らかなものだった。
 何気なく、ただ偶然にもこちらを向いて、初めて真正面から捉えた瞳は横目で眺めていた時と同様に明るく澄んだアメジストの輝きを秘めている。瞳を縁取る睫はたっぷりとして、一本一本は影が落ちそうな程に長く、白く透き通るような肌とまろみを帯びた輪郭はどこか未成熟の少女めいた印象をわたしに与えた。
 息を呑むほどにうつくしい青年がそこにいた。少年時代の面影を残し、男だの女だのというのに拘泥することが愚かしく思えるほどに中性的な顔立ちの彼は、まばたき一つ分の時間、わたしを見つめていたが、やがて興味をなくしたように顔を逸らしてしまった。
 その後はもうこちらには何の興味も持ってはいないようで、彼は職員から渡された書類やカリキュラムについて書かれた冊子を手早くまとめ、いまだ新入生たちでざわつく教室を脇目も振らずに出て行ってしまう。
 すでにできつつあるいくつかのグループの間を縫って足早に教室から出て行くその後ろ姿は、真っ直ぐに伸びた背中に凛とした気品すら感じられた。
 その立ち振る舞いから、もしかしたらどこかの高名な貴族の子息なのかもしれないとわたしはぼんやりとあたりをつける。
 貴族の子供が何故ケンブリッジやオックスフォードではなくこんなところにいるのかは分からなかったが、かといってただの庶民上がりとは思えないほどにその動作は美しく洗練されたものであったから、さる高名な某のご子息だと言われた方がまだ納得がいく。
 小柄な背中を見送って、ようやくわたしも帰り支度を始めながら、そういえば彼の名前を知らないことに今更ながら気がついた。
 けれど本格的に講義が始まれば嫌でも同級生の名前くらい知ることになるだろうと大して気にも留めず、先程よりも幾分か人がはけて寂しくなった教室を出る。