わたしの友達

 Mとザ・ワンの手により世界規模で起きた屍者の暴走はしかしその両名の名が出されるようなこともなく、チャールズ・バベッジを中心とした八大解析機関の全てが連動して起こしたバグとして処理された。先日ばらまかれていた号外によれば、解析機関同士が様々な繋がりを持っているが故に一箇所で起きたバグがそのまま広がった、ということになっているらしい。
 真実を知っている身としてはその全てを嘘だとは言い切れず、だからといってその話の一体どこが正しいのかとも思ってしまう。だが、事情を知らない多くの人々は新聞に書き立てられたその記事を、人為的に作り上げられた物語を信じているようで、それについてわたしが口を挟むのは差し出がましい以外の何ものでもないのだろう。特にこと、真実を語ることを許されないものであれば尚更に。
 ありがたいことにチャールズ・バベッジで起きた騒動の後、わたしの処遇は宙に浮いたままとなっており、わたしの隣には相変わらずフライデーが立っている。
 ウォルシンガム機関はその組織の性質上、それまでのMの存在がなくなってもすぐさま新しいMが組織の長の座につくらしい。マイクロフトと名乗った新しいMはわたしをこの道へと引き込んだ先代に比べると遙かに温厚かつ話の通じる相手であった。
 何せ、わたしの蘇らせた違法な屍者であるフライデー――書類上ではウォルシンガム機関の所有物とされているNoble_Savage_007の貸与期間の延長を取りはからってくれ、その上わたしのこの先の進退に関してウォルシンガム機関に残ると言うのであれば最大限の便宜を図ることまで約束してくれた。しかし、わたしはMのその提案には曖昧に言葉を濁すだけに留め、そのかわりにわたしに万が一のことがあればフライデーの処遇に関し、どうか丁寧に扱ってほしいと頼み込んだ。
 わたしのその頼みをMがどう思ったのかは分からないが、ならばしばらくは時間を与えるからじっくりと考えるといいと言われ、現在わたしはウォルシンガム機関の一員であるという肩書きを持ちながらも実質的には至って自由の身であった。このようにいってしまうと新しいMは先代と比べものにならない程にお人好しに見えるかもしれないが、事実は少しばかり異なっている。
 いびつに姿を変えたロンドン塔、その大半が崩壊した解析機関チャールズ・バベッジ、それに伴って起きた屍者の暴動。先代のMとザ・ワンの行いのつけを払う為にも新しいMは日夜奔走していてわたしやフライデーに構うだけの余裕がないというのが本当のところだ。
 そもそも、新しいMの下にわたしの報告が一体どんな形で入っているのかは分からないが、恐らくは今までの評価通りのいわゆる“親友を屍者化した狂気の科学者”といったところだろう。それに色をつけるにしても精々、ザ・ワンと先代のMの騒動に巻き込まれ、辛くも生き残った運のいい人間くらいにしかならない。実際にわたしに関わり、ことの顛末を見た人間ならばともかくも、紙の報告書としてあげられる記録の中に存在する私は、舞台の端役にしか見えないだろう。流されるままに流されて、気がつけば最後の大舞台に役者の一人として押し上げられていた滑稽な道化師にしか見えない。他ならぬ私自身でさえそう思ってしまうのだから、後始末に追われる今のMにとって見ればわたしたちのことは実に些末な問題だったのだろう。
 無論、そうであるが故に今わたしたちはこうして自由の身であるのだからそれに対する不満はない。
 ヴィクターの手記は崩壊したロンドン塔の瓦礫の下、物理的に失われてしまったと考えられている。例え全ての瓦礫をひっくり返し手記を探したところで見つかるのは砕かれた破片だけだろうというのがウォルシンガム機関の見解で、それに対してはロシア帝国や或いは他の勢力が手記を手にして英国を脅かすのでなければ構わないという風であったし、おそらく他の国々も同様にヴィクターの手記は失われたものと認識しているのだろう。
 実に甘い考え方ではあるだろうが、上がってくる報告によればヴィクター博士の脳は先日瓦礫の下で無残な姿となってしまっていたのを発見されたという話であるから、例えヴィクターの手記だけを手にしてもヴィクター博士の脳が失われた今、あのようなことは起こせないだろうというのが大方の見方であるようであった。
 それについてはそのように思われている方がわたしにとって都合がいいのであえて何も言うこともなく黙っている。まさかわたしがあの混乱の最中、ヴィクターの手記を密かに回収し隠し持っているなどとは誰も思ったりしないだろう。わたしも自分がヴィクターの手記をこの手に隠し持っていることを誰かに告げるつもりはない。
 そのまま何食わぬ顔をしてウォルシンガム機関に残り続けるか、或いはアレクセイたちのように人里離れた場所でフライデーとひっそり隠遁し、手元に残ったヴィクターの手記を使ってフライデーの魂を今度こそ完全に取り戻す為の研究に没頭するという選択肢もあるにはあった。しかしわたしには責任がある。アレクセイとニコライが身をもってわたしに知らしめ、そしてわたしに託した約束がある。わたしはそれを果たさねばならない。何故ならそれがわたしの、ヴィクターの手記を求めた人間の責任だからだ。それが彼らの切実な頼みを一度は踏みにじったわたしが、彼らにできる唯一の報いでもあった。
 わたしはわたしの目的の為に犠牲とした全ての人々の為にも、責任をもって手記を破棄しなければならない。もう二度とあのような惨劇が起きないようにするために。ヴィクターの手記がこの世に存在することを知り、それを求める為に多くの罪なき人々が犠牲になることのないように。
 しかしわたしは未だ手記を破棄してはいなかった。それをそしる人もいるだろう、許してくれと言い訳をするつもりもない。ただ、わたしに残された自由な時間――ウォルシンガム機関がわたしへと突きつけた半年という期限がくるまでは、わたしはフライデーにできる限りのものを残してやりたかった。
 屍者に何をと思われるかもしれないが、わたしの心は手記の破棄と決まっている。その決定を覆すつもりは最早ない。ただ、その心を揺らがせる唯一の存在があるとすればそれはフライデーに他ならなかった。彼がこの先も屍者として存在するというのであればできる限りの知識を、例え彼がわたしの手を離れて正式にウォルシンガム機関の備品となり、わたし以外のパートナーを得ることになったとしても、その時に少しでも彼にとって有利に働くように、今わたしができる全てのことをしてやりたかった。
 いっそのこと手記と共に彼の存在も破棄してしまえれば良かったのかもしれないが、例え屍者とはいえ彼はわたしの親友であり、ほんの一瞬のことであってもその身にはフライデーの魂が舞い戻った。わたしがいなくなった先の未来で、もしかしたらフライデーは再び魂を取り戻す瞬間があるかもしれない。それを証明する相手がいなくとも、手記を解析した彼の瞳に魂の煌めきが宿る時がくるかもしれない。それを思うと彼のこれからの未来にある可能性を潰すようなことはできるはずもない。
 結果、わたしはその半年間をフライデーに新たな知識を与えることに費やした。
 一度はその中身を全てリセットしたとはいえ、それまでの旅の間にわたしが施したネクロウェアの改良は、フライデーの性能を格段に上げた。元々、汎用ケンブリッジエンジンと拡張エディンバラ言語の二重機関を有する特殊な屍者ではあったが、その構造のみならず中身までも他のネクロウェアなどに負けをとることはないだろう。そこにできる限りの知識を詰め込んでいく。
 行動記録係として数多の記述を行った彼の中に蓄積されたあらゆる言葉のパターンはそのまま彼の財産となり、書き記す過程で学習した文脈表現や他言語との兼ね合いもただ単語をひくだけの紙の辞書とは異なる彼の大きな強みとなるだろう。
 銃の扱い、チャールズ・バベッジすら制御する程の通信に特化した機能など、後に追加でインストールしたプログラムに関しても齟齬なく動作している。
 唯一の気がかりといえば、以前解析を試みたヴィクターの手記の存在であるが、チャールズ・バベッジでの騒動が起きた後、フライデーは以前のフライデーに戻った。少なくともわたしの目にはそう映っている。ともすれば長い年月の末に何がしかの影響が顕在化する可能性もなきにしもあらずではあるが、その場合は同様に手記をインストールしたわたしにも何らかの影響を及ぼすだろう。つまり一蓮托生というやつだ。
 それ以前に、ヴィクター・フランケンシュタイン博士の脳は物理的に破壊され、ザ・ワンも恐らくは死に至った。屍者の言葉と、ザ・ワンの魂を封じたヴィクターの手記はわたしの手に寄って破棄される。ハダリーのように屍者を自在に操れる能力を持つものの存在、或いはそれの量産には懸念が残るものの、ハダリーを造ったトーマス・エジソンは今、霊界との交信に興味があり、自分のような存在を造るつもりはないのだと彼女自身が言っていたので特に考えずともいいだろう。
 屍者を思うままに操るものはただ一人を除いておらず、その技術を擁したものは全て死に至るか破壊されるかして葬り去られた。また別の誰かがその研究の高みにまで上り詰めない限り、彼の騒動のようなことはおそらく起きることはない。更に言うのであれば百年かけてもザ・ワンと同等の屍者を生み出すことのできない人類が、手本となるだろうヴィクターの手記さえもないままその境地に達するのは百年単位で先になるだろうと容易に想像ができる。
 要するに、わたしやフライデーが先の出来事のように“屍者として暴走する”公算は低い。そもそも、その公算が高いというのであればわたしは手記の破棄に関してこのような手段をとることはなかっただろうし、フライデーに関してもウォルシンガム機関を信頼して預けるような真似ではなく、わたし自らの手で決着をつけていただろう。
 わたしが彼を置いていくかもしれないということとわたしが彼を破棄するということは、どちらもわたしの手から彼が失われるという意味では同じことだ。いや、わたしではない別の人間の手に渡るということであれば前者の方がわたしの心を掻き乱すと言っても過言ではない。
 わたしが彼の――フライデーの唯一の親友であり、彼にとって第一の助手であり、共同研究者であるという事実はわたしにとってはささやかな誇りですらあったのだ。それをみすみす失うとなれば、わたしの気持ちも分かってもらえるのではないだろうか。
 しかし、一度は魂の抜けた肉の器となった屍体には確かにフライデーの魂が舞い戻った。わたしと彼だけしか知らぬ合図がその根拠だ。だからとわたしは思う。この先に奇蹟がもう一度起きるというのであれば、わたしはそのための可能性を捨てたくはなかった。フライデーの為の未来を残しておきたかった。
 例えその未来にあるフライデーの隣にわたしの姿がなかったとしても。
 わたしが彼の魂を求め先へと進んだのと同様に、彼もまたわたしを求めて探してくれると信じている。彼の飽くなき探求心が必ずわたしを見つけ出すと信じている。例えそれが自惚れであったとしても、その自惚れを生んだのは彼と共に過ごした日々があるからだ。自惚れるに足る日々の積み重ねがそこにはあり、彼という存在を熟知したものとして、わたしは彼を信頼している。もしそれが本当にわたしの自惚れだったというのであれば、その時はわたしの浅はかさを笑ってほしい。
 だがわたしは親友を信じるが故の、この自惚れを恥じることは決してしない。

 することが決まっていれば時間などどれだけあっても足りないもので、半年という時間はあっという間にすぎていき、気がつけば明日にはわたしはこの先の進退をどうするかという判断を迫られ、フライデーはウォルシンガム機関へと引き上げられるというところまできてしまっていた。
 この半年、わたしの日々は実に穏やかなものであった。何の変哲もない日々を繰り返すだけの、穏やかな毎日。
 ロンドンから飛び出して、インドからアフガニスタン、日本、アメリカ、そしてロンドンへと戻ってきた長い長い旅が今ではもう遠く、自分ではない誰かが語った物語のようにしか感じられず、時々あれはわたしの見た夢だったのではないかとさえ錯覚させる。
 しかし現実には未だロンドン塔は姿を変えたままであり、わたしの手にはヴィクターの手記が残されている。
 実に穏やかな日々だった。フライデー失ってから初めて感じた、実に充足した日々だった。何の変哲もなく、何の事件も起きず、しかし穏やかさに満たされた幸福な日々だった。
 未練がないと言えば嘘になる。怖くないと強がったところでそれもまた嘘だ。正直に言えばわたしはこの先に待つ未来が恐ろしい。自分が自分ではなくなるかもしれないという可能性は決して低いものではなく、自分ではない何かに動かされるわたしの姿は想像するだにおぞましささえ覚える。
 しかし、わたしの心は決まっている。それは最早フライデーでさえも覆せない。わたしの持つ矜恃がその怠惰を、或いはその甘えを許しはしない。わたしはそんなわたしが許せない。
 そして、わたしは屍者としてフライデーを蘇らせた責任がある。魂の証明をと遺言じみた約束も、本来彼が死んだ後には何の拘束力も持ちはしない。結局のところ、死んだ親友の亡骸を盗み出し、違法にネクロウェアをインストールし、屍者化させることを選んだのは他ならぬわたしの意思なのだ。例えフライデーの言葉がそのきっかけを作ったとしても、それを実行に移したのはわたしであり、彼の遺言を叶えたいと願ったのはわたしの心であり魂だ。
 それを誰かの所為だと言いたくはない。わたしの全てはわたしのもので、わたしの魂もわたしのものだ。
 そしてわたしはその選択を過ちや罪だとも言いたくはない。それを言わない為にも、わたしはわたしの選択の責任をとらねばならない。わたしの心はわたしのものであり、わたしの意思はわたしのものであり、その意思による選択は自由であった。そして自由には代価として責任を支払わねばならない。
 その責任を果たすときがきた。
「……フライデー」
 時間は遅く、明日のための準備を全て終えた頃には日付はもう変わってしまっていた。
 名前を呼ぶわたしの声に、ぎこちなさの残る動きでフライデーがわたしを振り返る。
 その虚ろな瞳に微笑みかけてわたしは手を伸ばし、無造作に投げ出されたフライデーの手を握りしめた。
 血の通わない屍者の手は冷たく、その温度がわたしの胸を苦しくさせる。彼は一度失われた存在であり、その片鱗をつかみかけたこともあったが結局のところ完全にフライデーが戻ってくることはなかった。一度は彼の中に舞い戻った魂は、決して彼の肉体に定着することはなかった。
 わたしは手を握ったまま沈黙し、フライデーはいつも通りの従順さでわたしからの次の命令を待っていた。
 言いたいことも、言わねばならないこともあったはずなのに、何を言おうかとずっと考えていたはずなのに、言葉は頭の中でぐるぐると渦を巻くだけで何一つ声となって吐き出されることもない。黙りこくるわたしに不審そうな目を向けるでもなく、フライデーは虚ろな瞳をこちらに向けてくるだけだ。
 その瞳に、わたしは引きつりながらも笑って見せる。笑っているつもりだ。わたしは今、上手く笑えているだろうか。彼の目に、はたしてわたしはどのように映っているだろうか。
「……きみにずっと憧れていた」
 長い長い沈黙の後、ようやく吐き出せたのはそれだけだ。
 それは長い間、そうフライデー彼と出会ってからずっと、彼と対等の立場として肩を並べた時からずっと私が彼に言えなかったことだった。
 その瞳が好きだった。透き通るような薄い紫の瞳は夜明けの空によく似ていた。空が朝の光に染まり、闇が追い払われて鮮やかに色づく直前の一瞬を切り取った、朝と夜の狭間の色。魂のことを話す時、二人で研究の為の理論をずっと話合ったとき、その瞳がきらきらと知性の光を放って輝くのがわたしは何よりも好きだった。折れることを知らず、諦めることを良しとせず、どんなに研究が難航しようとも決してくじけることなく、常に前を向いて進むと決めた強い瞳。
 正直に言おう。
 わたしはずっと、フライデーに嫉妬していたのだ。
 嫉妬せずにはいられるだろうか。類い希なる才能、他の追随を許さないほどに明晰な頭脳。心の底から研究を愛し、そのためになら身も心も捧げられる程の情熱。彼の全ては魂の実証――21グラムの証明に注がれていた。それが同じ研究者としてどうしようもなく羨ましく、また同時に妬ましくてならなかった。
 彼は常にわたしの先を行く。わたしには見えないものを一足先に彼は見ている。
 羨ましかった、妬ましかった。同時に憧れであり、誇りでもあった。
 非凡なる頭脳、非凡なる才能、幼い頃より神童と呼ばれていたわたしなど足下にも及ばない天才がいるのだと、フライデーと知り合って初めて知った。彼は生粋の天才であった。ただの秀才が百人束になっても敵わないほどに、彼は正真正銘の天才だった。
 人を引きつけて止まない愛らしさすら残す容貌に反して舌鋒鋭く、その頭脳は明晰で、議論を交わせば負けはない。
 その並外れた頭脳故に深く関わる人間はそう多くはなかったが、裏を返せばそれだけ彼が一目置かれていたということでもあった。学問を愛し学問と研究の為に生き、研究に身を捧げるその姿はまさしく学問の神の加護を一身に受けたと言っても過言ではないだろう。
 天は二物を与えずなんてよく言ったものであるが、わたしの目には十分に二物を与えられているように見えた。
 それが羨ましかった。わたしも彼のようになりたかった。なれるわけもなかった。勿論そこには彼の才能や元々の頭の良さもあっただろうが、そうである為に彼は並々ならぬ努力を重ねてもいた。ただの学生の身でありながらも、それを職業とする研究者に顔負けの研究室を有し、日夜研究に没頭できる人間をわたしは他に知らない。
 彼にとって研究こそが娯楽であり仕事であり、彼の生命活動の全てであるようにすら見えた。
 彼は他の全てと天秤にかけて、自らの研究である魂の証明をとったのだ。それだけのものを研究に捧げられる人間をわたしは他に知らない。そしてそれだけの選択ができるからこそ、まるで神に愛されたように彼は研究の為に邁進できたのだ。
 天は二物を与えずとはよく言ったものだ。私の目の前には現に二物以上のものを与えられた男がいるというのに。
 彼には確かに二物以上のものが与えられていた。しかし神はそのかわりに彼の最も大事なものを奪っていった。
 すなわち、彼の命を。
「きみが死んだことは、今でもわたしの心に傷を残している」
 優秀な科学者が若くして死ぬのは、きっと英国どころか人類にとっても大いなる損失だろう。
 それがザ・ワンを生んだヴィクター・フランケンシュタイン博士以来、約百年にも及ぶ21グラムの魂の秘密にさえ迫らんような科学者であるというのならば尚更に。
 わたしとて屍者の、そして魂の研究に対してそれなり深く理解をしていると自負してはいるものの、それはひとえにわたしがフライデーの助手的な役割を担っていたからに他ならない。例え仮にわたしがフライデーの前から消えたとしてもわたしと同程度の能力のあるものはすぐにでも見つかるだろうが、フライデーのような人物はそう簡単には現れない。
 それだけわたしと彼の間には大きな差があり、それがわたしにとっては羨ましくまた同時に負い目でもあったことはもう否定しようもない。
 だが同時にわたしは彼の語る言葉が好きだった。わたしには未だ見えないその先を見据える彼の瞳が好きだった。夢のような魂の実証を、その実在の証明を、熱っぽく語る言葉が好きだった。わたしは彼を羨み、嫉妬し、だが何よりも憧れ尊敬していた。
 わたしは彼と同じものが見たかった。
 彼を追い掛けるのではなく、彼と同じ場所に立って彼と同じものが見たかった。
「きみが死んだ後、わたしがしてきたことをわたしは後悔していない。そう言ったらきみは怒るだろうか。……それでも、きみの魂を求めて旅をしたことをわたしは後悔したくない。きみを求めるわたしの努力を、無駄だったとは思いたくない。フライデー、きみなら分かってくれるだろう」
 語りかけたところで屍者であるフライデーには何の反応も見えはしない。
 ただ名前を呼ばれたことに対して、反射的に顔が動いただけである。
「フライデー。きみはわたしの親友であり、共同研究者であり、同時わたしの導き手でもあり。何よりも――わたしにとってきみは英雄だった。きみの言葉がわたしを導き、きみの言葉がわたしを鼓舞し、きみの言葉がわたしを支え、きみの言葉がわたしを前へと進ませた」
 わたしの長い旅は思い返せば彼の言葉から始まったのだ。21グラムの魂を求めて旅をするわたしの心を支えたのはフライデーの唱える理論と、夢みるように語られた研究への情熱だ。
 その情熱がわたしにも移り、わたしを21グラムの魂を求める旅へと駆り立て、それまでのわたしでは決して見えなかっただろう景色を見せてくれた。恐らくは、フライデーがずっと見ていた世界を、わたしに見せてくれた。
「……ありがとう」
 他に言わねばならないことはあるようにも思ったが、大事な時程言葉というのは出てこないものだ。
 彼と出会わなければ、彼の言葉がなければ今ここにわたしは存在していない。ここに至るまでの道のりは決して平坦なものというわけではなかったし、過ちも多分にあったが、その全てが今のわたしを形作っているのだから、そのどれも否定するつもりはない。
 思考ばかりが空転し、それは形を成さぬままにわたしの中で霧散し薄れていく。言葉が、或いは思考が、わたしの中で静かに降り積もっていく。
 静まり返った部屋の中、フライデーは相変わらず動くこともなくわたしに虚ろな瞳を向けてくる。
 明日、わたしは彼のような存在になるのかもしれない。それとは別に、狂人のようになるのかもしれない。その未来は未だ暗く、わたしには予測もつかないものではあるが、その結果をわたしだけは知ることができるだろう。
 その未来に、後悔はなかった。


text by 遠野まめ*2015/10/25