A letter - 1/3

「ワトソン博士」
ぼくのペンがそう記す。グリッドに満たされた、無限に広がる暗い平野に“ワトソン”の名前が強い光を放って輝く。その眩しさに、僅かに目を細めながらぼくはペンを走らせる。次の言葉を記すために。
「お元気ですか」
書き出しはいつだって同じだ。何故ならこれは手紙だったから。異なる言葉の地平へと去ってしまった彼へ宛てた手紙だからだ。呼びかけと言い換えてもいいかもしれない。ぼくの前からいなくなってしまった、だけどどこかで確かに存在する彼の霊素を構成する物理実体への――彼の魂とも呼ぶべきものへの呼びかけの手紙だ。
いつか必ず、消えてしまった彼にぼくの言葉が届くように、そしていつか必ずぼくの言葉に対して彼からの返答がくるように、彼に呼びかける言葉を真っ先に据えると決めていた。彼に対するぼくの呼びかけが、真っ先に彼の目に飛び込んでくるように。
本当はアイリーン・アドラーやザ・ワンのように声や音で言葉を伝えられるのが一番いいのだろうけれど、残念ながらぼくの発声器官は随分と昔にその機能が停止して久しい。何よりぼくは随分と長い間、紙とペンで言葉を綴ってきた。だから、お喋りよりもこうして書き記すことの方が慣れてしまっているし得意なのだ。
呼びかけに対する応答はなんだっていいと思っているけれども、呼びかけるのなら一番得意なものの方がきっと彼にも届くだろう。ぼくはそう信じている。
「ぼくは元気です」
消え入りそうな程に弱々しく光る文字列に少し笑った後、他愛もない話題をとりとめなく書いていく。
時折情報として入ってくるバーナビーのこと、先日少しだけ会ったアイリーン・アドラーとバトラーのこと、Mのこと、ヴァン・ヘルシングのこと、セワード教授のこと。日々刻々と変わる世界情勢のこと、路地裏で見かけた野良猫のこと、浮浪者同士の喧嘩、とある労働現場で起きた屍者の事故について、新聞に載っていた彼の相棒が解決したという事件のこと。
ワトソン博士から行動記録の任を解かれたぼくは結局再びウォルシンガム機関へと戻され Noble_Savage_007 として次の任務を与えられるのを待つばかりであるが、こうして意識を持ったぼくには最早屍者としての任務は与えられないだろう。かといって処分されることもなく、後は朽ちるに任せるだけになるのだとぼくは考える。
それ故にぼくはこうして自由にさせてもらっているのだからそのことについての不満はない。何よりも今、こうして彼への手紙も書き綴ることができるのだからぼくはそれで十分だ。
思いつくままにペンを走らせ、脈絡もない近況を全て書き終える。
「いつの日かあなたにぼくが見えますように」
あなたにはぼくが見えていますか。
何よりも聞きたいその問いを飲み込んで、そのかわりの一文を付け足してぼくはペンを置く。インクが乾くのを待ってその便箋を折りたたみ、封筒に入れてぴったりと封をする。宛名はない。差出人の名前も書かない。これは行く当てのない手紙だからだ。
そうしてぼくはノートを開く。グリッドの上に言葉を綴る。綴った言葉が物語となるように祈りを込めて、その物語がいつかワトソン博士へ届くように願いを込めて。その名前を書き記す。
消えてしまった彼を探す試みを、こうして続ける。いつか彼を探し出すその日まで。