亡霊の子供

 ふわふわと温かかった秋も深まり、シルバーナ大陸から季節風と共に冬の気配が運ばれてくるウンディーネリデーカンの終わり頃、平素は白と青のコントラストが美しいグランコクマの街並みに、オレンジや黒、紫の彩りが添えられるようになる。店の軒下にはかぼちゃをくり抜いたランタンが吊され、街は魔女やコウモリなど恐ろしくもユーモアに溢れたモニュメントで飾り立てられる。
 古くは創世暦時代の収穫祭と死者への弔いから始まった祭だそうだが、長い時間の中でその意味は変容し、ここグランコクマでは観光行事の側面が強かった。
 普段とは装いを異にするグランコクマを一目見ようという者、マルクトの首都であるだけに近隣でも最も盛大に催される祭に参加する者。理由は様々だが、とにかくこの祭りの日、グランコクマは人で溢れかえる。しかもその大半が仮装をして普段とは違う姿になっているからなのか、いつもと違う自分であるが為に気が大きくなるとでもいうのか、問題を起こす輩も少なくはなく、街の安全を護るのも仕事のうちである軍としては毎年頭を痛めながらも通常の倍、あるいはそれ以上の人員を割いて治安の維持に努めている。
 何せ人でごった返す上にその殆どは地元の人間ではなくよそから来た観光客だ。酒も入っているともなればほんの些細な行き違いからもめ事になるなんていうのはよくある話で、ある時は調子に乗った酔っぱらいが水路へ飛び込んだだの、人々の押し合いで海に落ちた者がいるだの、毎年何がしかの騒ぎが起きている。
 幸いにもジェイドはこういった現場に駆り出される立場ではないのでまだ楽な方だといわれればそうではあるが、翌日祭の中で起きた問題の報告が部下から山のように届くだろうことを考えるとそれはそれで気が重くなる。市民同士の喧嘩程度ではジェイドが出るほどでもないにせよ、それが周囲に伝播してある種の暴動にでもなったとしたら出向く羽目になる。或いは城外の喧噪につられて幾つになってもわんぱく盛りの皇帝陛下がグランコクマの街にお忍びで出かけたともなれば、うんざりするような人混みの中で秘密裏に皇帝の捜索を行わねばならない。
 ジェイド自身はこの手の祭を楽しむ性格でもないというのもあって、こういった行事に対してどうにも余計な仕事を増やされているという感覚が拭いきれずにいた。そもそも三十も折り返しを過ぎて、祭で騒ぐような年でもなくなっている。
 もっとも、若い頃のジェイドはといえば、研究ばかりで祭に興じることも殆どありはしなかったが――可愛げなんて欠片もなかった自分の過去を振り返りながらふと思う。
 ジェイドにしてみれば面倒ごとばかりが山積みされたこの祭もきっと、あの子供ならば素直に楽しんでいただろう。
 キムラスカでも同様の祭が催されるのかは知らないが、仮にバチカルがグランコクマと同じようにかぼちゃやらなにやらで飾り立てられ仮装した人々が一日限りの非日常を満喫していようとも、彼は生まれてこの方軟禁されていたのだから屋敷の外の祭に参加できるはずもない。旅をしている間は崩落だのレプリカだの障気だのの問題解決に奔走していたし、世界の情勢が非日常を楽しむどころではなく、そもそも祭自体が開かれなかった。
 今回の祭はグランコクマでも実に二年ぶりの開催だった。だからこそ余計に市民が浮き足立っているのを肌で感じるし、今回やってくる観光客は例年よりも多いだろうというのが軍の見解だった。特に、今年はキムラスカからやってくる旅行者も見込まれている。ジェイドにもいざ何かあればすぐに駆けつけられるよう体を空けておけとの通達が出ていた。
 とはいえ、祭の本番は夜であり人が増え始めるのも夕暮れ時を過ぎた頃からなのが常だった。だとすれば日中はさほど大きな問題が起きることはないだろうと踏んで、机の上に積み上がった書類を捌いていく。途中、軽い休憩を挟んで急ぎの要件を片付けた時には昼食の時間を過ぎていた。
 自分の腹具合と相談し、少し悩んでから遅めの食事とすることにする。この時間ならば食堂も空いている頃合いだ。もっとも、一番賑わう時間帯を過ぎているということは残ったメニューも相応に少ないだろうことは想像に易い。平素よりも静かに感じる廊下を歩きながらぼんやりと何を食べるかに思いを巡らせているうちに食堂に辿りつく。
 予想した通り人は少ない。がらんとした食堂には持ち場から帰ってきたばかりらしい兵士がまばらに席を埋めているくらいで、実に閑散としていた。思い思いに食事をとっているその脇をすり抜け、カウンターに向かう。
「すみません」
 カウンターの奥、厨房にいる婦人に声をかけて今日のメニューを尋ねると、五目チャーハンセットと日替わり定食ならばすぐに出せると返された。
「日替わり定食のメニューは何ですか?」
「今日は豚の生姜焼きか魚の煮付けですね」
「それじゃあ日替わり定食にしましょうか」
「かしこまりました。煮付けの方ですね」
 カーティス大佐、魚の方がお好きでしょうと言い当てられて思わず苦笑する。
「ええ、煮付けの方をお願いします」
 ジェイドが軍人になって久しいが、彼女が軍の厨房を預かっているのはそれ以上に長い。ジェイドがこの食堂に昼食をとりにくるのはそう多いというわけでもなく、注文の際に二、三言葉を交わす程度の関係ではあるものの、いつの間にか好みを把握されているのは少しばかり恥ずかしさを覚えた。
 料理を待っていると、五分も経たないうちに定食がカウンターの受け取り口にやってきた。
 レジで支払いを済ませ、適当な席を探す背中に声をかけられる。
「ああそうです大佐。良かったらこれも」
 振り返ったジェイドのトレーに載せられたのは透明なセロハンの袋に入ったクッキーだった。
 この時期によく見かける、顔が描かれたかぼちゃの形を模している。三十路を過ぎた男がもらうには少々不釣り合いな可愛らしさだ。
「軍の皆さんはお祭りなんて楽しむ暇もないでしょう」
 だからせめて気分だけでも、と食堂の職員たちが相談して上司に掛け合いクッキーを配ることにしたらしい。
 ささやかながらも心のこもった気遣いに感謝して、クッキーは次の休憩の時にでもありがたくいただくことにする。
 婦人に短く礼を告げ、カウンターからそう離れていない席を選んで腰を下ろした。
 話す相手もおらず一人でとる食事にそう長くはかからない。手早く食事を済ませて空になった食器を返却口に戻して食堂を後にした。
 祭などなくとも仕事は幾らでもあるものだし、冬を目前にしたこの時期ともなれば日が暮れるのも早い。これから夜になるにつれて街に人が溢れかえり、大なり小なりもめ事が起き始める。誰も彼も浮かれれば気が大きくなるというもので、それだけだったら良いものの問題行為を起こされれば軍としては対応せざるを得ない。現場に動員している人間だけで対応できればそれでいいが、数が追いつかないと判断されればジェイドも駆り出されることになる。それまでに終わらせられる仕事は片付けておいてしまいたかった。

 結論からいえば、祭は例年以上の人の入りと盛り上がりを見せたがジェイドにまで招集の声がかかるような事態にはならなかった。特に大きな混乱やもめ事もなく、迷子の案内や酔っ払い同士の喧嘩の仲裁などはあったと聞くが、目立った犯罪も起きず寧ろ普段の祭に比べたら穏やかなくらいで、気を張っていた兵士たちが拍子抜けするというオチまでついたらしい。
 面倒ごとなど起きない方がずっといい。折角これだけ注意を払っていたのに徒労に終わったと嘆く者もいるかもしれないが、その注意が笑い話ですまされるうちが華であり、平和な証拠だ。余計な仕事が舞い込まねば兵士たちとて早くに仕事を切りあげて帰路につける。だというのにどうしてか、ジェイドが執務室を出て家路についたのは定時から大幅に外れた時間だった。
 祭の騒ぎを収拾する為に呼び出されることもなかったのにと溜息の一つでもつきたくなる。
 昼食を挟んだ午後、人々が街に出て賑やかになり始める頃には机の上に積まれていた書類もあらかた片付け終わっていた。これならば問題が無ければ久方ぶりに早い帰宅となるかもしれないと淡い期待を抱いたジェイドの胸の内を見透かしたかのように議会に提出する書類の資料を作ってくれと頼まれ、そこから後は芋づる式にあれもこれもと押しつけられて、気がつけばまた仕事が溜まっていた。
 軍は厳格な階級社会だ。長いものに巻かれるほど可愛げのある性格はしていないが、上司に当たる人間から頼まれれば断りづらい。それがジェイドにとって師に当たる相手ならば尚更だ。そもそも軍の上層部にも書類仕事が苦手な者は少なくはなく、それならば自分が一手に引き受けた方が結果として効率がいいというのもある。どうせ議会にはジェイドも引っ張り出されるのだから、それならば不慣れな人間が作った資料よりも自分で用意したものの方が余程答弁にも使いやすい。
 結果、ようやく全ての仕事を終えたのは日付が変わる少し前のことだった。同じような体勢をとり続けていたためか、肩から背中にかけてが凝り固まって、ぐっとのびをすると関節のあちこちからパキパキと音が聞こえて一層増した疲労感が重たくジェイドにのしかかってくる。
 だがやっと家に帰れるのだからいつまでもぐずぐずと居残ってまた誰かに捕まるというのはごめんだった。
 さっさと帰り支度をすませ、いつの間にか後退していた番兵と挨拶を交わして軍を出る。
 もうすぐ日も変わるという時間にもなれば当然祭は終わっていて、広場に残るのはまだ騒ぎ足りない若者たちくらいなものだった。いつもに比べて汚れた広場のそこここにまだ仮装をした人影が幾つも見えて、非日常の気配が未だ色濃く残っているのを感じる。
 この様子ではきっと酒場も混み合っているだろう。行くあてのある人間はこんな冬も間近な季節に吹きさらしの場所になどいない。酒場からあぶれたか、未だ帰りたくないとたむろっているかのどちらかだと考えるのが妥当だ。
 昼食以来何も入れていない胃が空腹を訴えてくるが、店に出向かないとなれば自宅で食事をとるしかない。さて家には何か食べ物があっただろうかと考えてそういえば昼間もらったクッキーがあったことを思い出す。上着のポケットを探ってそこにはないことに気付き、下に着込んだままの軍服のポケットを探る。かさりと指先にセロハンの薄い包装が触れた。
 家に着いたらこれを食べよう。残っていたはずのコーヒーでも淹れて流し込めば少しは空腹を誤魔化せるはずだ。そう考えて少しだけ歩調を速めた。
 シルバーナ大陸からの冷たい海風がジェイドの頬を撫でていく。少し湿った潮の匂いがつんと鼻を刺し、着込んだ上着の隙間から入り込む冷ややかな空気に思わず襟元をきつくした。ケテルブルクの出身とは言え、ジェイドはもうグランコクマで暮らした時間の方がずっと長い。寒さにはすっかり弱くなってしまった自分に老いを感じた。
 あと数年もすればジェイドも四十歳になる。人生も折り返しを過ぎて、残された時間で何ができるかを考える。
 レプリカの保護はまだ十全とは言えない。当然といえば当然だった。彼らは一代限りの存在だ。生殖も可能なはずではあるが、それは国が許さない。彼らはこのまま増えることなく死んでいくのを待つだけだ。そんな存在であるがために議会はレプリカに対して金を出し渋っている。
 ヴァンが引き起こした混乱でマルクトの痛手は大きい。アクゼリュスの崩落然り、崩壊したセントビナー然り。得体の知れない隣人よりも、自国の民の救済の方が先決だというのが議会の言い分で、これに関してジェイドが余計に口を出すと矛先が軍部へと向けられる。元が先帝時代に自分が行っていた研究であるだけに原因の一端が他ならぬジェイドだとはいえども、行き場のない彼らのことを考えると頭が痛い案件の一つでもあった。
 唯一の救いは国の長たるピオニーがジェイドの意見に近い考えを持っていることだろうか。
 レムの塔で交わした約束のこともある。少なくともあの事件に関わった自分が生きているうちくらいはレプリカを護ってやらねば、あそこで死んだ一万人にもエルドラントで死んだ彼にも合わせる顔がない。
 鬱屈としたものが首をもたげるのを、頭を振って追い払う。こんな時に考えごとをしてもろくなことが思い浮かばないのは長年の経験で知っている。
 まだ騒いでいる人々の間を縫って、雑踏をすり抜ける。毎年のこととはいえ、深夜近くなってもこうも人が多いのはグランコクマでも珍しく、仮装で着飾った人々の中にあっては普段と変わらない軍服にコートを着込んだ自分の方が浮いて見えるなと他愛もないことを思う。
 そうして意識が散漫になっていたのが悪かったのか、くん、と何かに裾を引っ張られたような気がしてジェイドは思わず足を止めた。
「……?!」
 誰かの衣装に引っかかったのだろうかと思って振り返れば子供が一人立っている。年の頃は丁度十歳といったところで、こんな時間に出歩くには幼すぎた。この日の子供は夜に仮装して街を練り歩くものではあるが、それにしたって出歩くにはあまりにも時間が遅すぎる。大体保護者は何をしているのだろうかと周囲を見回しても、それらしい人物はいなかった。とすると、これはもしかしたら本当に親とはぐれた子供なのかもしれない。確かにこの仮装だらけの中ではジェイドの格好が一番声をかけやすいと判断されてもおかしくはなかった。
 内心仕事から解放されたこの期に及んで迷子の相手なんてごめんだと半ばうんざりしつつも無視できる訳もなく、仕方なくジェイドは腰を屈めて子供に目線を近づけた。
 仲間内からは陰険だの何だのと言われてはいるが、一応一般市民に対してはただの軍人だ。職務の都合上、迷子の面倒を見ることもなくはない――もっともそれは本来下級の兵士の仕事ではあるが、それを子供に分かれというのは難しい話である以上、ジェイドが合わせてやらねばなるまい。
「これはこれは、一体どうしましたか?」
 できる限り優しく聞こえる声を出し、ジェイドをよく知る人たちからは胡散臭いと言われる笑みを浮かべる。けれどジェイドのそんな努力も虚しく、子供はずいと無遠慮に手を差し出して来た。
「トリックオアトリート!」
 きかん気の強そうな声が元気よく菓子をせびる。
 こちらの話を聞かないばかりか当然といわんばかりに手を差し出してくる子供に、親は一体どういう教育をしてきたのかと思考が明後日の方向に逃げたがるのをどうにか御してジェイドはますます笑みを深くした。
「……ご両親はどちらにいますか?」
「知らない」
「知らないとは……。はあ、困りましたね」
 菓子をもらいに練り歩く子供が、あちこちの家を訪ねるのに夢中になって、或いは何かに気をとられて道に迷うのはよくあることで、時間を考慮しなければ今日に限ればこの手の子供は少なくない。それにしても自分が親からはぐれたというにも関わらず、見知らぬ大人を引き止めて菓子をせびる図太さは驚嘆に値する。きっとこのまま育てばさぞかし大物になるだろう。
 子供は苦手だ。まず理屈が通じない。感情で動いて、我儘で気難し屋で、そのくせ繊細で傷つきやすく、時々はっとするほどに優しい。ジェイドには扱いかねる類いの生き物だ。何せ、子供の頃のジェイドはそんなもの何一つ持ち合わせてはいなかったから、過去の自分を振り返ったところで“こうすればいい”という指針も得られないのがまた困る。
 とはいえジェイドは軍人で、迷子の扱いについてもひとしきり知識はある。まずは手近な当番中の兵士を探して子供を引き渡し、保護の為の書類を書いて親を待つ。ついさっき出たばかりの軍に戻るのは不本意ではあるが、役職上親からはぐれた子供を無視も出来ない。
 とりあえず兵士のところへつれて行くべく差し出された手をとろうとしたら、強く振り払われた。
「何するんだよ!」
「何って、親とはぐれたのでしょう? 迷子は軍で預かるのが決まりですから」
「そんなことしなくていいって!!」
 甲高い子供の声がヒステリックに叫ぶが、それは近くの酔っ払いたちの笑い声に紛れて消えた。
 今にも地団駄を踏んで駄々を捏ねそうな子供の態度と言い草に、随分と我儘なものだと内心げんなりしながら小さなその姿を見下ろす。
 音素灯の明かりに照らされた子供はすっぽりと頭からフードを被っていて、顔には物語の鬼を模したお面をつけている。仮装というにはお粗末だが、子供だましならばこの程度でいいのかもしれない。怒っているのか笑っているのか、大きく口を開けたその面にちくりと頭の中で何かが引っかかったような気がしたものの、それが何かを捉えるよりも先に諦めない子供がまた手を差し出してくるのに意識をとられた。
「お菓子くれたらそれでいいから!!」
 ジェイドの耳に届いたそれは殆ど懇願のようであり、そこまで言うのであれば菓子でも何でもくれてやろうと、最早考えるのも面倒になってポケットの中に収まっていたクッキーを与えてしまった。これだから子供は苦手なのだ。人の話なんてちっとも聞かずに自分の意見ばかり押し通そうとする。
 どこぞの親が放置している子供を一々真面目に相手にするほどジェイドは優しい人間ではない。菓子の一つでこの子供がどこかに行ってくれるなら、わざわざ手間をかけて保護をするよりずっと楽だ。翌日になって子供の行方が分からないなどと騒ぎになってもそれはジェイドとは関係がない。
「これしかありませんが、どうぞ」
 言外に菓子はくれてやったのだからさっさとどこかに行ってくれと滲ませながらクッキーをやれば、子供は十分喜んでいた。お面越しでも分かる喜びように、最初からこうであればもっと可愛げもあっただろうと余計なことを思う。
「ありがとな、ジェイド!」
 先程までの不躾さとは裏腹に、いやに素直な感謝の言葉に驚いた。
 否や、それよりも何故この子供は名乗ってもいないはずのジェイドの名前を知っていたのか。
「待ちなさい!!」
 菓子をもらって満足した子供が走り去るのを、手を伸ばして引き止めようとする。けれど伸ばした手は僅かに届かず、指先が子供の被っていたフードを掠めただけだった。
 僅かに触れたそれを掴もうとした手が空を掻き、かろうじて引っかかった爪先がフードを剥ぎ取る。音素灯の明かりに照らされて、赤い髪が夜に踊った。
 瞬間、息が詰まる。
 目の前が眩んで、ありとあらゆる音がジェイドの周囲から消え去った。
 ほんの一瞬、けれど一瞬。動きを止めたジェイドを置き去りにして子供は遠ざかりつつある。
「待ちなさい、“ルーク”!」
 空いた距離に我に返り、その背中を呼び止めてようやく気付く。
 あの子供がつけていた面と同じものをかつてジェイドはよく見ていた。あれはルークの背中についていたのと同じものだ。それを理解した瞬間、半ば本能的にあの子供がルークだと確信した。
「ルーク」
 闇に溶けつつある子供の背中にもう一度呼びかける。
 ジェイドの声が届いたのか、暗がりの中で子供はピタリと足を止め、それから一瞬ジェイドを見上げた。
 そんな気がした。
 顔を隠すお面越しでは子供が真実何を見ていたのかなんて分からない。ましてやろくな明かりもない夜では尚更だ。けれど子供はジェイドを見た。あのお面越しに確かに目が合った。もしかしたらそれはジェイドの錯覚だったのかもしれないが、少なくともジェイドは子供と目が合ったと確信できた。
 気の遠くなるような一瞬の後、子供はくるりとまたジェイドに背を向けて、今度こそ本当に闇の中へと消えてしまった。雑踏の中で追い掛ける気も湧かずにジェイドはその背中を見送ることしかできなかった。まるで白昼夢のようだとも思ったが、ポケットの中を探してももう、クッキーはどこにもなく、たった今起きた出来事が現実であると知らしめる。
 自身が遭遇した一連の出来事を上手く受け入れられず立ち尽くすジェイドの頬を冷たい風が撫でていく。
 その冷たさに身震いして、不意に本来この祭が死者にまつわるものだということを思い出した。
 創世暦時代では冬に入る直前のこの日、死した人々の魂が家族や親しい相手の下へと戻ると信じられていた。長い時間をかけてその本質は失われ今では浮かれた祭となってはいるが、かつて信じられていた通り、確かに彼らは帰ってきたのだ。
 異形に化けた生者に紛れて、彼はジェイドに会いに来た。