キス!キス!キス!!

 朝、目覚ましが鳴るよりも早く目を覚まし、隣に眠っているルークを起こさないようにそっとベッドを抜け出した。どうせ今日の朝食はルークの当番なのだから今起こしてしまったところで問題はないけれども、ただでさえ狭い家の狭い洗面台に男二人がすし詰になるのはごめんなのでまだ寝かせておく。
 顔を洗って身支度を調え、それからやっと寝室に戻ってきたが先程目覚ましを止めてしまった為に未だルークは夢の中だ。目を覚ます様子もなければ、当然ジェイドがベッドを抜け出したことさえ気付いていない。一体どんな夢を見ているのか、ふにゃふにゃと緩んだ寝顔は大変幸福そうで可愛らしい。
 どうせ今日は一日休みなのだからこのままルークが自然と目を覚ますまで寝顔を堪能してもいいかもしれない。けれど、このままルークが起きるのを待っていれば昼になってしまうだろう。別にジェイドはそれで構わないのだけれども、二人の生活の為に約束した日々の決めごとを自ら反故にするというのはどうやらルークにとって幾ばくかの負い目を感じる類いのものらしく、自分のすべきことができなかった時それはいたく落ち込むのだ。
 ジェイドは気にしないと言ったところで聞き入れてはくれず、今度はちゃんとやるからとやる気ばかりが空回りする子供に付き合わされるのは結局のところ他ならぬジェイドであり、それならばほどほどのところで手を打つのが妥当だろう。
 決して、ルークがまだ起きてくれないから寂しい、なんてことはないのだ。
「……ルーク、朝ですよ」
 名前を呼んで、軽く肩を揺さぶってやる。
 小さなうめき声と共に薄らと緑の目が見開いたけれど、それはカーテン越しに差し込む朝日の眩しさにすぐさま閉じられる。ついでに肩に置いたジェイドの手を払いのけるように寝返りまで打ってこちらに背を向けるのだから面白くないと感じるのは至極当然のことだろう。
 どうやら今日のルークは寝汚いらしい。普段はどちらかと言えば寝起きはいい方でジェイドが声をかければすぐに目を覚ますのだが、年に何度かこんなことが起きる。
 こういう時のルークはなかなか簡単には目を覚ましてくれないので、それならばいっそ彼が寝ているのをいいことにほんの少し、好き勝手するくらいは許されるだろうか。つらつらと他愛もないことを考えながらベッドの端に腰掛ければ、ジェイドの重みでマットが沈む。
 健やかに眠る子供の頬を撫でる。少年から青年へ。成長期真っ只中の輪郭は、出会った時に比べたら幾らか丸みを欠いたように見えた。すっと通ったラインに、このまま成長すればきっと精悍な顔つきになるだろうことを予感する。顔にかかった髪を払いのけ、形のよい耳が見えたので唇を寄せた。
「ルーク、起きて下さい。……起きないと、キスしちゃいますよ」
「……っ、ぅん」
 むずがる赤子のようにルークの眉が寄せられてしかめ面になる。ジェイドから逃げるように壁の方へと寄っていき、毛布にくるまる姿は完全に朝起きたくないとぐずる子供のそれだった。寝ているのに器用なことだ。
 逃げるルークを壁際へと追い詰めて、もう一度耳元で朝だと告げてやる。
 これが最後通牒だ。
「さあ起きて下さい、ルーク。本当にキスしますよ、あなたが何と言っても」
 当然起きる気配はなかった。もごもごと言葉にもならない寝言を口にしながらシーツにくるまって惰眠を貪ろうとするルークの肩を掴み、半ば無理矢理こちらへと体ごと顔を向けさせる。
 最初は薄く汗をかいている額に。次は未だ閉ざされたままの瞼に。それから鼻先、そして頬。
 唇を指先でなぞると、柔らかく、乾いていた。少し荒れている。もう少し気を遣えと言っているにもかかわらず、ルークはさほど自分の手入れというものをしない。そのくせ冬場などは唇を切って痛いと文句を言うのだから困ったものだ。
 ささやかな不満のようなものが胸に湧いて、けれどそれすら愛しさに変わる。唇から指を離し、そこに自分の唇を重ねた。
「……ん」
 二度、三度、ただ重ねて触れ合うだけの口付けを交わして、それから軽く歯を立てる。傷つけるつもりは毛頭ない。柔らかな甘噛みにか、それとも無理矢理口を塞がれることで苦しくなったのか、規則正しいルークの寝息が乱れて喘ぎ声めいて耳に届く。
 その声に煽られるような気がした。
 軽く腰掛けるだけだったベッドに乗り上げて、どころかルークの上にまたがってその体を押さえつけながらますます口付けを深くする。ようやく目を覚ました恋人が驚いた顔をするのに笑いかけ、文句を言われる前に唇を塞ぐ。無防備に開いた口腔に舌をねじ込んで、驚いたように縮こまっているルークの舌に絡ませる。ぬるりと濡れた柔らかな肉を擦りあうと、緑の瞳の奥に欲情の炎が灯るのが見えた。
 抵抗するようにルークの手がジェイドの肩を掴もうとするが、いち早くそれを払いのけ、ベッドの上に縫い付ける。指と指を絡ませて、ねだるように握りしめればルークは寝起きの出来事に困惑しながらもジェイドの手を握り返してくれた。
「何、っ……で、こんな!」
「あなたがお寝坊だったので、少し悪ふざけをと思いまして。一応何度か起こしたんですけどね」
 もっともな疑問に答え、それ以上の不満が彼の口から漏れる前にまた塞ぐ。
 どうにか起き上がろうともがくルークに体重をかけて、呼吸さえ飲み干すようにきつく吸うとびくりと子供の体が跳ねた。分かり易い反応が可愛らしい。誘われるままに引きずり出した舌をやわく食み、それからまたちゅっちゅと軽い口付けを交わす。
「キスだけで硬くしてしまって……そんなに気持ちいいですか」
 ひとしきり満足して体を起こし、抵抗する気力もなくなったようにぐったりとベッドに身を投げ出すルークに笑って、先程から臀部に当たっている硬いものを擦るように腰を振ってやる。途端真っ赤に染まった顔はまるで熟れた林檎のようだが、囓れば青臭く可愛らしい相手であることもよく知っている。
「手で抜いて差し上げましょうか? それとも口の方がいいですか? ああ、下の口というのもありますが」
 わざとらしく直接的な言葉を投げつければルークは真っ赤になったまま、胸の中のものを全て吐き出すように深い溜息を吐いた。
「ジェイドって時々おっさんくさいよな……」
「まあ、実際におじさんですからねえ」
 流石に自分より十以上も年の離れた相手からおっさん臭いと言われるのは少々堪えるものがあるが、そんなことはおくびにも出さずに答えれば、もう一度深い溜息を吐かれた。ついでにそれまで部屋に漂っていた淫靡な空気も大きく削がれて、何とも中途半端な雰囲気だ。
「それで、私とセックスしますか」
 どうせ抜くだけじゃ我慢なんてできないでしょう。
「そりゃしたいけど……その前に!」
 ぐっと腰を掴まれ、何をするのかと問う前にベッドの上に押し倒される。差し詰め形勢逆転と言ったところだろうか。見上げればすぐ真上に天井を背景にしたルークの顔があった。さて何をされてしまうのだろうか。まじまじとルークを見上げれば、ちゅっと唇に可愛らしいキスが落ちてくる。
「俺からもちゃんとキスさせて」
 ちゅっちゅ、とまるで児戯のような口付けを繰り返す。柔らかく触れては離れて、角度を変えてまた触れる。拙いその仕草が可愛くて、つい湧き出た悪戯心にペロリとその唇を舐めれば驚いたようにルークは飛び退いた。それから、逃げたことが恥ずかしかったのかそれとも不意打ちを食らったのが悔しかったのか、勢いを増した口付けは今にも噛みつきそうなくらいで、少しでも気を抜いたらこのまま食べられてしまうような錯覚に陥る。
 押しつけられた腰はすっかり硬くできあがっていて、今にもはち切れそうなほどに寝間着を押し上げている。その熱さを思い出すだけでぞくぞくとジェイドの体にも痺れるような快感が走った。
「っぁ、ルーク……」
 はやく、と腕を伸ばして腰を抱く。布越しに密着しあったそこを押しつけて擦りあわせれば、微かにルークの背中が震えるのが伝わった。ジェイドにも同じ震えが伝わる。じん、と熱を帯びた刺激に息が乱れる。シャツを捲り上げられて、熱いくらいに温かな手のひらが肌を撫でた。
 ジェイド、うっとりした声で名前を呼ばれる。見上げれば濡れたような瞳がそこにあった。

 結局はこうなるのだと、最初から頭の片隅で理解していたとはいえぐちゃぐちゃになったベッドの上で考える。
 本当は、もっと手前で止めるつもりだったのに。つい、やめ時を見誤って、そのまま後は溺れるように抱かれてしまった。自分ももうそんなに若くはないつもりなのだけれども、恋人が若いと引きずられるとでもいうのか、それまで淡泊に過ごしてきた分の揺り戻しがこんなところにきているのかは分からないが、休日の朝っぱらからなんていうのはお盛んと言っても過言ではないだろう。
 短い赤毛を撫でながら、それでもそのことに嫌悪や抵抗はなく、むしろある種の幸福な余韻さえあるのだから、相当自分も浮かれているのだろうとジェイドは考える。
「それで、なんでいきなりこんなことしたんだよ」
「いきなりというわけでもないんですが、まあちょっとした悪ふざけのつもりでした」
 それでお互い本気になってしまったのだからどうにもならない話かもしれないが、ベッドの中で怠惰にまみれて過ごすのもそう悪くはない。戯れるようにルークの脚が自分の脚に絡みついてくるのを好きなようにさせながら、ぼんやりとそんなことを思った。
 本当は煽るだけ煽って放り出してやろうと思っていたはずなのに、ルークの寝起きの顔が思いの外可愛らしくて、つい甘やかしてしまったが為のこの結果に満更でもないと考えてしまうのだから笑ってしまう。
 まだ物足りないと言いたげな手のひらが、名残惜しそうにジェイドの肌を辿ってはいるが、ジェイドにその気がないことは察しているのだろう。ルークもこれ以上はねだるつもりはないようだった。
「でも起こすにしたってもっとましな起こし方あるだろ」
 っていうかジェイド、本当は起こす気なんてなかっただろ。と胡乱な目を向けられてはさあどうでしょうかと肩を竦めるばかりだ。
「お寝坊なあなたが可愛かったので意地悪したかったんですよ。いじらしい乙女心です」
「……乙女じゃなくておっさんだろ」
「そんなおっさんにぞっこんなのはあなたの方ですがね」
 その一言にルークがぐっと言葉を詰まらせる。ジェイドがついルークを甘やかしてしまうのが、彼に惚れた弱みだというのであれば、これがルークのジェイドに惚れた弱みなのだろう。ぞっこんなのはジェイドの方も同じなのだから人のことなんて言えないと胸の内で考えながらもそれを言ってやるつもりはない。
 緩くからむルークの手をどけて、のそりとベッドの上に起き上がる。このまま怠惰に過ごすことに魅力を感じないこともないが、いつまでもベッドの上でごろごろしているというわけにもいかない。
「さてルークそろそろ起きましょうか」
 シャワーを浴びて、服を着替えて、汚れたシーツは洗濯に出して。仕事は休みとはいってもやる事はまだまだあるのだから。
 不満げな顔をするルークに笑いかけて、今日のお昼は出かけましょうかと提案する。
「夜はあなたの手料理が食べたいですね」
 朝は食べ損ねてしまったのでと続ければ、ルークが申し訳なさそうな顔をしたのでそんな顔はしないで下さいと慰めた。
 誘ったのは私の方なんですから。
「それに、朝ご飯よりもおいしいもの、いただきましたしね」
 悪戯っぽく囁きながら自分の腹を撫でれば、真っ赤になった顔を枕に埋めたルークが呻きながらじたばたと悶えている。ほんと、ジェイドそういうのやめろとくぐもって聞こえる不満の声はあえて聞こえなかったふりをして、枕に顔を埋めたままのルークに囁いた。
「今度こそ大人しく起きないと、またキスしちゃいますよ?」